先日「古代律令制下における『女帝(女性天皇)』を巡る研究史断片」
という文字通りの断片的なメモを公開した。これを読んで、少し立ち入った問題について、
興味深い指摘をして戴いた方があった。『令集解』に書き込まれた注釈で、「女帝」が「5世王」(天皇から血縁が
5世離れて“王”の称号は名乗れても皇族〔皇親〕とはされない)や
「凡人」(庶民)と婚姻されていた場合(それは同令「王娶親王条」
に違反するが)、その子は「凡人」とするのかどうか、という疑問が
示されている。この事実から、もし当時、男系継承が絶対視されていれば、
(当然、問答無用で「凡人」と断定できるので)このような疑問が
浮かび上がること自体あり得なかったはずだ、という指摘だ。その際、「断片」では言及しなかった仁藤敦史氏
『女帝の世紀―皇位継承と政争』(平成18年)と宮部香織氏
「律令法における皇位継承―女帝規定の解釈をめぐって」
(『明治聖徳記念学会紀要』復刊第46号、平成21年)にも、
関連箇所があることを紹介されていた。これらの業績からは、かねて私も学ばせて戴いており、宮部氏の
力作論文については拙著『「女性天皇」の成立』でも、僅かながら
触れておいた(121ページ)。『令集解』の該当注釈についても(他の注釈と異なり史料としての
性格の見極めが少し難しいが、宮部氏は「『令集解』成立以降の
書き入れと思〔おぼ〕しき」という)、早くから目を止めて来たつもりだ。しかし迂闊ながら、上記のような視点は思い付かなかった。
私見を補強する貴重な指摘に感謝する。【高森明勅公式サイト】
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